日本のeスポーツを語るとき、避けて通れない制度があります。日本eスポーツ連合(現・一般社団法人日本eスポーツ協会、JeSU)が2018年に始めたプロライセンス制度です。

この制度は、発足直後から強い批判を浴びました。同じ大会で同じ成績を収めても、ライセンスを持っているかどうかで受け取れる賞金が数十倍変わる。ある大会では優勝賞金500万円が10万円に減額されました。しかも制度の根拠とされた消費者庁の見解について、当の消費者庁が「推奨したことはない」と否定するという食い違いも起きています。

一方で、この制度を必要とする事情も確かにありました。何が問題で、何を解こうとして、結果として何が起きたのか。感情論を離れて構造を整理します。

制度が生まれた背景 —— 賞金を出せない国

日本でeスポーツの高額賞金大会を開こうとすると、いくつかの法律が同時に問題になります。もっとも大きいのが景品表示法(不当景品類及び不当表示防止法)です。

景品表示法は、商品やサービスの取引に付随して提供される「景品類」に上限を定めています。消費者が景品につられて商品を選んでしまうことを防ぐための規制です。ここで問題になるのが、ゲームの大会賞金が「景品類」にあたるかどうかでした。

大会の参加者がそのゲームソフトの購入者であり、パブリッシャーが主催して賞金を出す。この構図は、形式的には「商品の購入者を対象とした懸賞」に見えます。もしそう解釈されるなら、賞金には上限がかかります。当時の一般的な理解では、数千万円規模の賞金は出せないことになる。

海外では状況がまったく違いました。2010年代半ばには『Dota 2』の The International で賞金総額が数十億円規模に達し、優勝チームが数億円を受け取る大会が普通になっています。日本の大会が10万円単位にとどまっていたのは、選手の実力ではなく制度上の理由でした。

この差は、選手の海外流出や、日本での大会開催の見送りという形で表れます。何とかしなければならないという認識は、業界内で共有されていました。

「仕事の報酬」にするという発想

そこで採られたのが、賞金を「景品類」ではなく「仕事の報酬」として整理するという考え方です。

景品表示法の景品類は、取引に付随して提供される経済上の利益を指します。逆にいえば、仕事の対価として支払われるものは景品類にあたりません。プロ野球選手の年俸や、プロゴルファーの賞金が景品規制の対象にならないのと同じ理屈です。

この整理を成り立たせるには、賞金を受け取る人が「その競技を職業として行っている人」である必要があります。誰でも参加できる大会で、たまたま勝った人に高額の賞金を渡すのでは、報酬とは呼びにくい。職業として認定する仕組みが要る、というのがプロライセンス制度の出発点でした。

つまりライセンスは、選手を格付けするためのものではなく、法的な整理のための道具として設計されたことになります。この点を押さえないと、制度への批判も擁護も的を外します。

制度の中身はこうです。JeSU 公認大会で優秀な成績を収めたうえで、指定された講習を受講するとライセンスが発行されます。手数料がかかり、現在は5,500円とされています。中学生向けにはジュニアライセンスが用意されました。当初の対象タイトルは『コール オブ デューティ ワールドウォーII』など6タイトルで発行が予定され、現在は『ストリートファイター6』『鉄拳8』『パズル&ドラゴンズ』などが公認タイトルとなっています。

何が問題になったのか

制度は発足直後から批判を浴びます。もっとも大きな問題は、同じ大会で同じ成績でも受け取れる金額が変わるという点でした。

ライセンスを持たない参加者に対しては、賞金が景品類の上限に収まる金額まで減額される運用がとられました。実例として、ももち選手が優勝した大会で、優勝賞金500万円が10万円に減額された事例が知られています。ジュニアライセンスを持つ中学生についても同様の減額が問題になりました。

競技の観点からすれば、これは受け入れがたい設計です。大会で決まるのは強さの順位であって、書類上の資格ではありません。強い選手が制度上の理由で報酬を受け取れないのであれば、その大会の結果は何を意味するのか。

さらに、ライセンスの発行主体が JeSU であることも論点になりました。JeSU にはゲームパブリッシャーが多く関わっており、公認タイトルの選定と、そのタイトルを販売する企業の利害が重なる構造があります。「特定の団体が選手の資格を握る」ことへの警戒は、eスポーツに限らずどの競技にもある論点ですが、eスポーツの場合は競技そのものが企業の商品であるため、より複雑になります。

消費者庁との食い違い

制度の正統性をめぐって、もうひとつ大きな問題が起きました。根拠の説明が食い違ったのです。

JeSU 側は、賞金付き大会を開催する方法としてプロライセンス制度が消費者庁から示されたという趣旨の説明をしていました。ところが消費者庁は、そのような制度を積極的に作れと推奨したことはない、と否定します。

行政機関が特定の民間制度を「推奨する」ことは通常ありません。消費者庁が行うのは、個別の事案について景品表示法の適用関係を示すことであって、業界がどんな制度を作るべきかを指示することではないからです。その意味で、消費者庁の否定自体は驚くことではありません。

しかし、制度を導入する側がその点を明確にしないまま「行政の意向」を背景として説明したのだとすれば、それは制度への信頼を損ないます。制度の必要性そのものは説明できたはずで、行政の権威を借りる必要はなかった、という指摘は今も残っています。

その後の整理 —— ライセンスなしでも賞金は出せる

制度をめぐる議論が続くなかで、法的な理解のほうも進みました。

現在では、大会賞金が景品表示法の景品類にあたらないケースがいくつも整理されています。たとえば、大会が特定の商品の購入を条件にしていない場合、賞金は「取引に付随」していないため景品類にあたりません。参加費を集めてそれを賞金に充てる場合も、また別の整理になります。主催者がパブリッシャーではない第三者である場合も同様です。

つまり、大会の設計次第でライセンスなしに高額賞金を出すことは可能である、という理解が広がりました。実際、国内でもライセンスを条件としない高額賞金大会が開かれるようになっています。

このため、プロライセンス制度の存在意義は当初より小さくなりました。現在の JeSU のライセンスは、賞金の法的整理という当初の目的よりも、選手の身分証明、国際大会への派遣、講習を通じた最低限の規範の共有といった役割に比重が移っています。

制度が不要になったというより、制度が担っていた問題の一部が別の方法で解けたというのが正確な理解でしょう。

ライセンスは何を証明するのか

制度の是非を離れて、そもそもライセンスとは何を証明するものなのかを考えてみます。

一般に、資格や免許には3つの機能があります。能力の証明(この人には一定の技量がある)、身分の証明(この人は正規の参加者である)、規範の共有(この人は守るべきルールを理解している)です。医師免許は主に1つ目、運転免許は1つ目と3つ目、業界団体の会員証は2つ目にあたります。

JeSU のライセンスは、この3つのどれにあたるでしょうか。発行の条件は「公認大会で優秀な成績を収めること」と「指定された講習を受講すること」ですから、形式上は1つ目と3つ目を満たしています。ところが実際の運用で効いていたのは、賞金を受け取れるかどうかという2つ目の機能でした。

制度の説明と実際の機能がずれていたことが、批判が集まった一因です。「強さの証明」として説明されると、大会で勝った選手が受け取れないのはおかしいという反論が成り立ちます。「賞金を受け取るための手続き」と説明していれば、少なくとも論点はもっと単純だったはずです。

もっとも、正直に「これは法的な整理のための手続きです」と説明することにも難しさがありました。制度の存在意義が手続き上のものだけだとすると、なぜ手数料を取り、講習を課すのかという疑問が出てきます。制度の正統性を語ろうとして、かえって混乱を招いた面があります。

講習という要素

見落とされがちですが、ライセンス取得の条件には講習の受講が含まれています。

講習で扱われるのは、大会でのマナー、SNS の使い方、契約や税務の基礎、アンチ・ドーピングといった内容とされています。若い選手が突然まとまった金額を扱うことになる競技において、こうした知識の共有には一定の意味があります。

他競技を見ると、この種の教育はもっと厚く行われています。プロ野球やJリーグでは、新人研修で契約、税務、SNS、賭博防止、薬物の各項目が扱われます。八百長や違法賭博への関与が競技の信用を根本から損なうため、予防に投資する合理性があるからです。

eスポーツでも同じリスクは存在します。試合結果に関する不正、アカウントの不正利用、未成年者の労働環境。いずれも競技の信用に直結します。インテグリティ(競技の公正性)の話は「チートとインテグリティ」で扱いますが、教育の仕組みを持つこと自体は制度の正当な役割です。

問題は、その教育が賞金の受取資格と結びつけられたことでした。教育は教育として提供し、受講を推奨する。賞金の法的整理は別の方法で行う。この2つを分けていれば、制度への評価は違っていたかもしれません。

他競技のライセンス制度との違い

日本の他の競技団体にも、選手の登録や資格の制度はあります。何が違うのでしょうか。

プロ野球やJリーグでは、選手はクラブと契約し、リーグに登録されます。この登録は、リーグという閉じた興行に参加するための手続きです。リーグの外で野球をすることは自由で、登録がないと野球ができなくなるわけではありません。

ゴルフやボクシングのプロテストは、技量の水準を担保するための仕組みです。合格しないと出られない試合がある一方、アマチュアの大会は別に存在します。

JeSU のライセンスが特異だったのは、同じ大会の中で、賞金の金額だけが変わるという設計でした。出場は誰でもできるが、受け取れる金額が違う。競技の結果と報酬が切り離されるこの形は、他の競技にほとんど例がありません。

制度としての違和感の多くは、この一点に集約されます。もし出場資格そのものを分けていれば、プロツアーとアマチュア大会という一般的な形になり、ここまでの批判は起きなかった可能性があります。

制度が残したもの

批判の多い制度でしたが、残したものもあります。

ひとつは、議論の可視化です。この制度がなければ、日本のeスポーツの賞金がなぜ低いのか、その原因がどこにあるのかは、業界の外に伝わらなかったでしょう。制度への批判を通じて、景品表示法と大会賞金の関係が広く知られるようになりました。結果として法的な整理も進みました。

もうひとつは、窓口としての機能です。国際大会に日本代表を送る、行政と協議する、他競技の団体と連携する。こうした場面で「日本の代表団体」が必要になることは実際に多く、JeSU はその役割を果たしてきました。アジア競技大会への日本代表派遣は、団体がなければ成立しません。

一方で、選手側から見た制度の受け止めは一様ではありません。ライセンスを取得して活動している選手もいれば、必要を感じずに活動している選手もいます。あめみやたいよう選手は2018年4月、ぷよぷよの初回認定選手11名の一人としてライセンスを取得しました。一方で、ライセンスを持たずに国内外の大会で活躍している選手も多数います。

選手側の受け止めと現場の実務

制度に対する選手の反応は、一枚岩ではありませんでした。

賞金付き大会に継続的に出る選手にとって、ライセンスは実務的に必要なものでした。取得しなければ受け取れる金額が変わる以上、選ぶ余地は多くありません。あめみやたいよう選手は2018年4月、ぷよぷよの初回認定選手11名の一人としてライセンスを取得しています。

一方で、ライセンスを持たずに活動している選手も多くいます。海外の大会を主戦場にする選手、国内でもライセンスを条件としない大会に出る選手、そもそも公認タイトル以外を主戦場にする選手。制度の外側で成り立つ活動は最初から存在していました。

チーム側の対応もさまざまです。所属選手にライセンス取得を求めるチームもあれば、選手の判断に任せるチームもあります。国際大会への派遣に団体の推薦が必要な場面では、ライセンスの有無が実際に効いてきます。

現在では、賞金の法的整理が進んだこともあり、ライセンスを取得するかどうかは選手の選択に近づきました。制度がなくても活動できる状況になったこと自体は、シーンにとって健全な変化です。ただし、そうなるまでにおよそ5年から7年を要しました。

制度をつくることの難しさ

この一件は、eスポーツに限らず、新しい領域で制度をつくることの難しさを示しています。

まず、制度をつくる主体が中立になりにくいという問題があります。JeSU にはゲームパブリッシャーが多く関わっています。パブリッシャーは競技タイトルの権利者であり、大会の主催者にもなりうる立場です。選手の資格を認定する団体と、競技の商品を売る企業が重なると、利益相反の疑いは避けられません。

次に、急いで作らざるを得ない事情がありました。国際大会への派遣、賞金の整理、行政との窓口。いずれも待ってくれない課題です。時間をかけて合意を形成する余裕がないまま制度を立ち上げれば、抜けや歪みが残ります。

そして、当事者の合意を得る手続きが弱かったことも指摘されています。選手やコミュニティに対する事前の説明と意見聴取が十分だったとは言いにくく、制度が「上から降ってきた」という受け止めを生みました。長くコミュニティが自前で運営してきた格闘ゲームシーンでは、この反発が特に強く出ました。

制度は、それが規律する当事者の納得なしには機能しません。この点は、eスポーツがこれから直面する他の課題——選手の労働環境、未成年者の保護、インテグリティの確保——にも共通します。

いま制度をどう評価するか

プロライセンス制度は、解こうとした問題そのものは実在しました。日本で高額賞金の大会を開けないという状況は、競技の発展を確実に妨げていたからです。

問題は解き方でした。競技の結果と報酬を切り離すという設計は、競技の側から見れば本末転倒です。制度が競技のためにあるのか、競技が制度に合わせるのかという順序を、途中で取り違えたように見えます。

同時に、当時の状況で他にどんな方法があったのかを考えると、簡単ではありません。法的な解釈が固まっていない段階で、業界が自主的に枠組みを作ろうとしたこと自体は、無責任な放置よりは前進です。行政の解釈が後から整理されたのは、業界が動いたからでもあります。

いま同じ問題に直面したら、おそらく違う設計が選ばれるでしょう。大会の主催者を第三者にする、参加資格を分ける、賞金の性質を契約で明確にする。いずれも現在は実務として確立しています。

制度の評価は、この10年で何が学ばれたかを見るほうが生産的です。賞金と法規制の関係については「eスポーツの賞金はなぜ複雑なのか」で、大会運営の実務については「eスポーツ大会はどうつくられるのか」で扱っています。

統括団体には何が求められるか

制度の是非を離れて、統括団体そのものに求められる役割を整理します。

対外的な窓口。国際大会への代表派遣、行政との協議、他競技の団体との連携。誰かがこの役割を担わなければ、業界として外部と関われません。JeSU が3団体の統合で発足した最大の理由がここにあります。

タイトルを横断する課題への対応。個々のタイトルはパブリッシャーが管理しますが、「eスポーツ全体」の課題——選手の健康、未成年者の保護、教育との接続、インテグリティ——はタイトルを超えた取り組みを要します。

情報の集約。市場規模の統計、競技人口の推計、大会の記録。個々の事業者では作れないデータを整備することは、団体でなければできない仕事です。JeSU が角川アスキー総合研究所と発行する『日本eスポーツ白書』は、この役割の実践です。

選手の権利。契約の標準化、待遇の調査、相談窓口。他競技では選手会が担う機能ですが、日本のeスポーツには選手会が存在しません。

これらのうち、実際に機能しているものと、まだ手がついていないものがあります。制度への評価は、「何をやっているか」だけでなく「何をやるべきなのにやっていないか」も含めて見る必要があります。

参考・出典

本記事は執筆時点(2026年8月)の公開情報にもとづいています。法制度の解釈は変わることがあります。実際の大会運営にあたっては、個別に専門家の確認を受けてください。